自分ができる事を無い頭振り絞って考えてみた。ソーシャルメディア防災訓練の提言。

もどかしかった。

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非現実な映像が目に飛び込んでくる。でもそれは異世界での出来事ではない。

東京は幸いにも現時点では大きな被害も少なく、街はいつもと同じように動いている。
自分も普段の業務に戻らざるを得ない状況だが、やはり気持ちが落ち着かない。

できることなんて本当に限られているのはわかっている。
でもソワソワが止まらない。

今回の地震で私が考えたことの一つは、メディアの在り方、これから、である。
NHKがUstreamで放送を流すことを決定したり(もちろん他の局も)、ラジオも省エネルギーなメディアとして被災地では大いに活躍している。Sonyも3億円規模の寄付をしたそうだ。

そして何より今回が、阪神淡路大震災と決定的に違ったのは、「ソーシャルメディア」の存在である。当時は人々の安否を確認したり、連絡を取り合うには携帯電話だけであった。しかし案の定電話回線はパンクする。さらには大きなメディアもテレビかラジオしかなかったので、すぐにリアルタイムに情報を得ることは困難だった。


災害時メディアの変容


しかし、今回。

地震発生直後から各地の状況を伝えるツイート、
お互いの無事を確認し合うツイート、
震度を伝えるツイート、
対策を共有しあうツイート、
誰かを励ます為のツイート、

様々なつぶやきが飛び交った。

とても不安定かつ不安になる災害時において、誰かと繋がっている、という感覚がどれだけ自分を勇気づけてくれたか。私も大いに実感した。

自分の知人や親族の安否に関しても、昔では考えられないくらいすぐに確認をとることができた。これはTwitterだけでなく、FacebookやSkypeなどがあったからこそである。
海外からも非常に多くの安否を気遣うメッセージを頂戴して、本当に涙が出そうに嬉しかった。

最新の情報がすぐに入ってきて、それをまたすぐに誰かに共有できる、そのシステムは既に整っているのだ。

その半面。。。

もちろんメリットだけではない。
よく言われていることではあるのだが、Twitterでは今回(に限らずいつもなのだが)問題になったのは、

  • ソースのないデマが一気に広がってしまった
  • ツイートが多過ぎて発言が埋もれてしまった
  • 非公式RTと公式RTで意味合いが異なってしまった
  • 煽りや誹謗中傷も多かった
  • 偏った見方が広がる危険性もあった
  • 自己満足に陥る危険性もあった
これらはかなり議論されているところではあるし、こういったデメリットに関しては私も異論はない。

しかしメリットしかないメディアなどそもそも存在し得ないし、情報を得る「機会」と「手段」が多様化するのは歓迎するべきことだと思う。ツールも存在しないのに議論することはできないが、今私たちはその道具を手に入れることができた。だからやはりそのツールの使い方はこれからしっかり教育されるべきであると思う。そもそも私たちは何年もの義務教育の中で非常に大事な事を学んでいない。
  1. 与えられた情報に対して自分のフィルターを通して考えてみる
  2. 得られた情報を元に、ソースを明確にしながら論旨をまとめる
  3. 自分自身の意見をはっきりと表明する
  4. 相手の意見を尊重する

自分のフィルター

私たちは「本を読め」「新聞を読め」「教科書を読め」と小さい頃からさんざん言われてきたが、少なくとも僕が記憶する間では一度も
「教科書に書かれていることを疑え」
「新聞や報道の裏側を考えろ」
とは言われた事がない。

メディアの発信する情報をそのまま額面通りとらえ、それをそっくりそのままアウトプットすることが優等生とされてきた。恐ろしい事に各種のメディアが持つデメリットを理解していなかったり、自分たちが普段見たり聞いたりしている事が全て真実と思っている学生があまりに多い。(学生だけではないかもしれないが)

情報に対してあまりに受動的な人が多過ぎてこれほどいいようにマスメディアに操作されている民族はいないのではないかと思う程である。

ソースの取り扱い

ここも圧倒的に欠落している部分である。
欧米の学校ではかなり下の学年から、文献を複数読み、それに基づいて自分の意見を書く、話す、という訓練を繰り返しやっている。というか方法としたらそればっかり。だからこそ彼等はPlagiarism(wiki) に関して学校も生徒も非常に敏感である。つまり自分の論文なりテーマに合わせて文献を集め、読み、吟味し、その中から必用な情報を集約させてアウトプットする、というプロセスを体に染み込ませている。そしてそこにおけるマナーというかcitation(引用)のルールを叩き込んでいるのだ。

かたや日本では大学生はおろか、社会人であっても論文の一つも書けない人が非常に多い。嘘のようなホントの話であるが、Wikiの文章をそのままコピペすれば論文ができると思っている人がとても多い。大学の教授が見かねてそれを大学でわざわざ時間を設けて教えるくらいだ。これは決して知らない人たちが悪い訳ではない。知らないものは知らないのだから。それを教えられないという制度に問題がある。

日本におけるアカデミックって何?
学校って何をするところ?

という点に関してももっと議論されるべきだ。

自分の意見って何?

自分の意見なんだから引用は必用ない、という反論を聞くこともよくある。というか私も同じように考えていた。しかし自分の考えも自分が無意識のうちに見た事、聞いた事から形成されているしそれは避けられない事であるし、相手に何かを伝える時にはそこを明確化することで、相手に対してその意見への検証の手段を提供する事に繋がる。

収集のつかない議論に陥る一つの原因には論点のズレというのがある。

Twitterが議論に向かない、と言われる事があるがそうではない。相手に検証する材料を与えずにただ言いたい事だけ言っていたらそもそも単なる野次の飛ばし合いでしかない。これに関してはTwitterに関わらず日常の様々な局面に対しても同様の事が言えると思う。

相手へのリスペクト

ソースを書かないことが、知的財産へのリスペクトの欠落に繋がる。自分の意見を我が物顔でわめき散らしている時に、相手の意見への尊重はない。日本ではこれが良いのか悪いのか、本音と建前がある故に、建設的な議論に発展しないやり取りが非常に多い。こういう意見があった、こういう話もあった、こういうデータもあった、そして私はそれに基づきこう考えます、というこのプロセスに私たちはあまりにも慣れていなさ過ぎる。だからお互いがロジカルシンキングをしないまま「あー、あいつよくわからん、ムカつく」と思いつつも「そうですね、わかります」とにこやかに答えなければならない状況になってしまう。

外っ面の笑顔が意味がないとは言わない。しかしもっと相手の意見を尊重する、そしてその上で自分の立ち位置や意見をしっかりと相手に伝える事ができる、こんな環境がもっとあってよいのではないかと思う。

必用なのは”リテラシー教育”

話が脱線してきてしまったので戻す。
ただでさえこういった教育を受けてきた人種なので、新しいメディアに関してはなおさら理解度の格差が広がっていく。メディアって何なの?ということがもっともっと小さい頃から教育の現場で議論されてもいいことだと思うし、ケータイ文化がここまで広がってきたらそういった新しいIT領域のリテラシーに関して学ぶ必用があるはずだ。これからの若い人たちは一世代前の人たちが思いもしなかった、ケータイでのコミュニケーション、SNSでの人間関係、YoutubeやUstreamでのコンテンツ消費など、まったく新しい世界に直面する。そこに対して大人がサポートしてあげないのは彼等にとって酷な話である。

今回の地震についてもそう。
具体的に言えば
  • どういう時は公式RTの方がいいの?
  • こういう発言にどう対処したらいいの?
  • 発言する時にはどういうことに気をつけたらいいの?
といった点に関してはしっかりと教えていかなければならないし、災害、防災以外にもこれから
  • 実名ゆえにおこるFacebookでのいじめ、嫌がらせ
  • なりすまし被害
  • スパム
  • 出会い系サイト化
など様々な問題が出てくるだろう。
SNSがこれだけ広がってきているので今やらなくては手遅れになるし、既に問題は起こり始めている。TwitterやFacebookなど特定のサービスに関わらず、携帯電話とウェブというものが個人そのものと密接に関わるようになってきた今、教育の現場でももっと真剣に子供に対して教えていく、伝えていく必用があるのではないだろうか。

で、自分は何ができるの?

と、あれこれ駄文をしたためながら、ない頭を振り絞って考えた。
その”何”にあたるものは

無償でのソーシャルメディアリテラシーレクチャー

である。
最近おかげさまでセミナーもぼちぼちやらせて頂いているのだが、情報の非対称を利用して、今Facebookがオイシイからといってそれだけで終わるのはあまりにもったいなさ過ぎる。ソーシャルメディアやソーシャルネットワーキングサービスを使ってビジネスが発展して、新しい消費が生まれ、顧客満足度が上がり、経済が発展するなら言う事はない。しかし私がやりたいことはそれだけではない。あるツールの使い方を知る事で、知らない時よりもずっと生活が豊かになる、そんな抽象的ではあるがもっと大きな枠組みで物事を捉え、メッセージを伝えたい。

もちろん、メディアはメディアの専門家がいるし、教育は教育の専門家がいる。ド素人の私ができることは微力かもしれないが、ソーシャルメディア、ソーシャルネットワーキングに関しては少し他の人よりも知っている。だったらそれを世の中が良くなるように共有したい。だからえらそーな事は言わないので、そういった新しいツールの使い方だけでも説明させて下さい。

今までの防災訓練の他に、

緊急時における携帯電話、ウェブ、ソーシャルサービスを使った素早く、確実な情報交換、情報共有の訓練

は必用である。私にどうか協力させて下さい。お願いします。

特に我が故郷。静岡県。
東海地震の危険性は生まれた時から言われ続けてきた。
起こってからでは本当に遅い。パニックに陥る前に、適切なツールを活用する術をみんなにも知ってもらいたい。

ホントそれだけ。

お声かけていただければ全国どこでも飛んでいきます。しゃべります。教えます。

きっとこれは自分のモヤモヤした気持ちを忘れるための言い訳かもしれないし、自己満足かもしれない。でも自分は次の時代に絶対に必要だと信じているし、そのために貢献できるなら微力でもできるものならやりたいと思っている。

最後に

いろいろ好き勝手言ってしまったので気分を害された方もきっといると思う。それは申し訳ない。が、日本人をネガティブに捉えている訳でも悲観的に考えているわけでもない。それどころか今回の件でも多くの人が人々を励まし合うような情報発信、情報交換を行っていたし、ソーシャルメディアにおいても驚くべき秩序を見る事ができた。これは本当にリアルな場面においてもそうなのだが、もっと日本人であるという事に誇りを持っていいと思っている。

http://www.nytimes.com


だからこそ誰かにこのメッセージが伝わればいいなぁと思い書き記す夜中の2時過ぎ。


おしまい。