スーパーマーケットファンタジー

わかんないけどさ。
洋服。
インテリア。
雑貨。
ものにこめられた思い。
ギフト。
人の幸せ。
飽食の時代に生きる私たちも果たして本当にものだけで満たされているのか。
第三者やメディアなど外部情報によって形成される幸せの形もあるかもしれないが、
もっとダイレクトなところで心に響くなにかもあるはず。モノを媒介として。
気持ちの表象としてのモノ。
表現。
ダンス。
感動。
共有。
大量生産されたという既成事実だけではない。
それが提供されるタイミング、人、相手によって異なる。
スーパーマーケットファンタジー。
エソラ。
モノ。
コト。
イノチ。

そして新しいイノチへ。

垂れ流し

ちょっと今日トイレに入ってる間に考えたこと。

こっちに来てから常々思うことが、
西欧と日本の違い。
こう書くとすっごいべたな響きがしてしまうんだけどやっぱりこれは如実に
いたるところで表出している。

で、今日思ったのが、家とか家具とかなんかそーゆーものについて。

ざっくりと先に言ってしまえば、

西欧→一回きり

日本→繰り返し

っていう感じ。

感じっていう説明で非常に申し訳ないんだが(誰に。。。)
これは非常に感覚的な話。

ただ、日本に帰ったときに見た、出雲大社の話や、その前から知っていた、
法隆寺の宮大工の話を踏まえると、やはり日本人は深層心理には、何かものを
作るときは必ずその次のことを考えるというか、長く使うために繰り返し繰り返し
維持できるような仕掛けを施しておく、といった意識が刷り込まれているということだろうか。

こっちに来てからすごい違和感を感じるカーペットをはじめとした、ブリテッシュの
家具や家に対する姿勢は、それそのものはまぁ概して大事に使うが、
それは『一回きり』だからこそ大事に使う、といった感じだろう。
必ずしもそうではないかもしれないが、一般的に、ね。
アンティークというのもそのものが世紀を超えて残っている場合。
それを繰り返し。。。という発想ははなからない。

どんどん駄文になってるのでここまできたら単なるメモだけど、同じことが
たぶんワインと日本酒の関係性でもいえる。ビンテージという発想。
あー、完全に自分のノートになってるw

ワインは熟成させて、時間をかけて、それで付加価値をつける。当然おいしくもなってるんだろうけど。

日本酒はその年そのお米で取れたそのお酒をその土地で飲む、といった感覚。

僕はそこにも既述の感覚が含まれているような気がしてならない。